「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」迷い道にある“繊細な感情”と“鋭い痛み”―【藤津亮太のアニメの門V 第98回】(アニメ!アニメ!)

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金田 邦裕さん・・・

注目度が高い分、いろいろな噂もあるよね。

出典元:アニメ!アニメ!

※以下の本文にて、本テーマの特性上、作品未視聴の方にとっては“ネタバレ”に触れる記述を含みます。読み進める際はご注意下さい。

『BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』はとても繊細な物語だ。荒削りなゴツゴツとした魂同士が、触れ合った時に走る鋭い痛み。自分でも自分をうまくコントロールできない、苛立ちと悔しさ。見栄や自尊心と願いが入り混じったウソ。そんな若者なら心のどこかに抱えている細やかな感情が、物語の要所に織り込まれ、若いということが不器用と同義であることを、思い出させる。  

作品は9月14日に第13話「信じられるのは我が身ひとつ」の放送を控え、予断を許さない展開が進行中だ。だがそこについては、なりゆきを見守ることに徹して、ここではこれまで描かれてきたキャラクターのアンサンブルと映像の魅力に注目したいと思う。  

物語の中心は、新たにバンドをやることになった5人の少女。
この5人の中でまず、ミーハーで行動力はあるけど自己中心的になりがちな千早愛音と、群れるのは得意ではなく、適当な態度が許せなくてすぐ怒る椎名立希が対照となるように位置に配置されている。いわば愛音が“ボケ”で立希が“ツッコミ”のような関係性が、まずひとつキャラクターの大きな軸として設定されている。  

この2人の間にいるのが、ビリングでトップに置かれた高松燈。彼女は幼い頃から自分の感覚や志向が人と違っていることに戸惑ってきた人間で、言葉数が少なくコミュニケーションは苦手。愛音が燈と出会ったことが今回のバンドのスタート地点である一方、立希は燈とは旧知の中で、立希には愛音なんかより燈のことを考えているという自負がある。  

1クール目序盤は、この3人の思いがぶつかったり、から回ったりしながら進んでいく。ここに、おだやかな雰囲気で緩衝材の役割を果たす長崎そよと、ギターが超絶上手く、ネコになぞらえられるぐらい超マイペースな要楽奈が加わる。そよは物語上は、展開の鍵を握る“ジョーカー”で、このカードはまず第7話で明かされた。一方で楽奈は、いわば“飛び道具”で、内面を伺わせない描写を武器に、ほかのメンバーが気持ちにがんじがらめで身動きが取れなくなっている時に、突破口をつくって物語を進める役割も担っている。  

このような5人が演じる感情のアンサンブルが緊張感をもって進行するのが、本作ならではの魅力だ。序盤に関していえば、これはなんといっても愛音と立希の“欠点”を、視聴者に嫌われない程度に、でもしっかりと描いているから生まれたものといえる。  

第5話「逃げてない!」で描かれるのは、愛音の「逃げてしまう」という欠点。キャラクター紹介に「成績優秀でコミュ力と行動力」があると書かれている愛音だが、彼女は大変なことが待っていると逃げてしまうところがある。もしかすると、中学で生徒会長もやるぐらいには人気者だったから「そこそこなんでもできるタイプ」で、だからこそ失敗することに慣れていないのかもしれない。第5話では、彼女がイギリス留学に失敗した転入生であることが明らかになり、彼女はその失敗が中学時代の友達にバレた時、「終わった」と思う。ここで「終わった」と決定的に思ってしまう、自尊心のあり方こそ、若さゆえの産物といえる。  

そして、第5話で立希に「逃げてる」とずばり指摘されたいわれた愛音は、第6話「なんで今更」で逆に立希に対して「怒ってばっかりだ」と指摘をする。立希はひとりでなんでも背負いがちで、ゴリゴリ物事を進めるからこそ、他人に舌鋒鋭くなる。それはしばしば自分の思い通りに相手を振る舞わせようとする圧にもなりかねない。  

こんな2人の凸凹した感情が第6話では、映像の緩急としてうまく描かれている。前半は、ライブに向けて立希が一生懸命頑張る姿が描かれる。ただ彼女は、ひとりで抱えすぎてしまうので、自分ばかりが周囲の勝手に振り回されているという不満も溜め込むことになる。そして言葉がキツくなってきたところに、愛音から「怒ってばっかりだ」との指摘を受ける。第5話では立希が愛音に「逃げてばっかり」と正論をぶつけたが、第6話では逆に愛音が立希にストレートに意見を言う。  

舞台となるのが主にスタジオと立希の部屋で、動きも少ないカットを積み上げていく前半。後半は練習にこなかった立希を、愛音と燈が学校まで向かいに来る展開で、日の暮れた学校の中で、逃げる立希を愛音が追いかける。キャラクターが走り回る動きある展開が、前半と明確なコントラストにになっている。そこでは前半で溜め込んだ感情が、走るというアクションを通じて表出されている。  

続く第7話「今日のライブが終わっても」は、この第6話のようなメリハリをもっと強くつけて、映像の語り口でもって中盤の山場を作っている。  
ついに訪れた初ライブ。前半は控え室にいる愛音たち5人を追う内容。部屋の2カ所に設置された定点カメラを中心にしつつ、机の上の小型カメラを思わせるアングルも取り混ぜながら映像は進む。NHKの「100カメ」のようなノリを想像してもらうとわかりやすいだろう。こうしたドキュメンタリー風のカメラから、ライブ前の緊張した「時間」が浮かび上がってくる。この時間を感じさせる上では、意味のあるようなないような、おかしさも滲ませる様々な会話も大きな役割を果たしている。  

これが後半のライブシーンは、一転して、各人の頑張りを見せるバストショット、複数人を画面に収めてステージの空気感を伝えるダッチアングル、各演奏者の間を追いかけるカメラ移動などを駆使し、ライブの高揚感を伝える。1曲目の歌い出しがなかなか上手くいかず微妙な空気から始まった演奏が、途中で燈にスイッチが入ったことで、ぐっとグルーヴが生まれ、それが観客へと伝わっていく様子が、うまく表現されている。  

第6話も第7話も、脚本の絵解きにとどまらず、映像言語を巧みに駆使することで、登場人物たちの「感情の総体」を伝えることに成功していた。  
しかし第7話の初ライブの成功は、彼女たちにまた新たなピンチを招くことになる。それは第7話ラストそよが、それまで隠してきた思いを露わにすることから始まる。成功が最大のピンチを招くという展開の技術的な巧みさもさることながら、この禍福が反転する展開は本作が「みんなでひとつになる」ことを描くのではなく、「ひとつになろうとすればするほど、互いの違いが際立つ物語」であることを際立てる。  

作中で断片的に描かれてきたように、立希、燈、そよに豊川祥子と若葉睦を加えた5人は、かつてCRYCHICというバンドを組んでいたが、これが解散してしまった。燈はだから「解散しないバンド」というものに執着するし、立希は燈が再び傷つくようなことにはしたくないと思っている。そしてそよは「もう一度CRYCHICができないか」と考えている。  

愛音が無邪気に始めてしまった新しいバンドの向こう側に、CRYCHICという“亡霊”が浮かび上がってくるのが、1クール目後半からの展開で、ここからさらにこの“亡霊”との向き合い方が重要になっていくと思わせるのが、現在の展開だ。
本作は「重めのドラマをやりたい」とプロデュース・サイドからの依頼があってスタートした企画だという()。

ここ15年ぐらいの間、「重い展開を入れると視聴者が離れる」という話を取材などでよく聞く。もちろん例外も多々あるのだが、これが「考え方のベース。リスクの想定」として一般化していることは感じられる。ここにゲーム由来などの「キャラクターをあまり成長・変化させないほうがいい」要素が加わると、ドラマ性はどうしても薄くならざるを得ない。アニメがキャラクターグッズ化してしまうといってもいいだろう。そういう意味では今回の「重め」をという提案は、シリーズが順調に展開しているからこその挑戦ということはできるだろう。  

しかし第6話、第7話の出来栄え。そして第8話から第10話へと進む、燈を軸にした展開は「重め」だからこその劇的なおもしろさがあった。愛音と立希の間にいる燈が、自分の言葉で語る(歌う)様子は、「うったえる」が縮まって「歌」という言葉になったという俗説が、リアリティをもって響いてくる強さがあった。  

そういう意味で本作は「重さ」という以上に、きめ細かな感情のアンサンブルが生む「繊細さ」こそが先に感じられる作品となっている。タイトルにもなっているキーワード「迷子」が登場するのは第5話。これが彼女たちのバンド名になるのが第12話「It’s my go!!!!!」。この5人の迷い道を見ていると、青春時代というのは、阿久悠が『青春時代』(76年)の歌詞に、道に迷い胸に刺さることばかりと書いたころと、なんにも変わってないのだなとも思う。
この痛みには、時代を超えた普遍性があるのだ。

あまり良くないレビューや悪評とかって
それが本当かどうか、ちょっとよくわかりません。

出典元:アニメ!アニメ!

※以下の本文にて、本テーマの特性上、作品未視聴の方にとっては“ネタバレ”に触れる記述を含みます。読み進める際はご注意下さい。

『BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』はとても繊細な物語だ。荒削りなゴツゴツとした魂同士が、触れ合った時に走る鋭い痛み。自分でも自分をうまくコントロールできない、苛立ちと悔しさ。見栄や自尊心と願いが入り混じったウソ。そんな若者なら心のどこかに抱えている細やかな感情が、物語の要所に織り込まれ、若いということが不器用と同義であることを、思い出させる。  

作品は9月14日に第13話「信じられるのは我が身ひとつ」の放送を控え、予断を許さない展開が進行中だ。だがそこについては、なりゆきを見守ることに徹して、ここではこれまで描かれてきたキャラクターのアンサンブルと映像の魅力に注目したいと思う。  

物語の中心は、新たにバンドをやることになった5人の少女。
この5人の中でまず、ミーハーで行動力はあるけど自己中心的になりがちな千早愛音と、群れるのは得意ではなく、適当な態度が許せなくてすぐ怒る椎名立希が対照となるように位置に配置されている。いわば愛音が“ボケ”で立希が“ツッコミ”のような関係性が、まずひとつキャラクターの大きな軸として設定されている。  

この2人の間にいるのが、ビリングでトップに置かれた高松燈。彼女は幼い頃から自分の感覚や志向が人と違っていることに戸惑ってきた人間で、言葉数が少なくコミュニケーションは苦手。愛音が燈と出会ったことが今回のバンドのスタート地点である一方、立希は燈とは旧知の中で、立希には愛音なんかより燈のことを考えているという自負がある。  

1クール目序盤は、この3人の思いがぶつかったり、から回ったりしながら進んでいく。ここに、おだやかな雰囲気で緩衝材の役割を果たす長崎そよと、ギターが超絶上手く、ネコになぞらえられるぐらい超マイペースな要楽奈が加わる。そよは物語上は、展開の鍵を握る“ジョーカー”で、このカードはまず第7話で明かされた。一方で楽奈は、いわば“飛び道具”で、内面を伺わせない描写を武器に、ほかのメンバーが気持ちにがんじがらめで身動きが取れなくなっている時に、突破口をつくって物語を進める役割も担っている。  

このような5人が演じる感情のアンサンブルが緊張感をもって進行するのが、本作ならではの魅力だ。序盤に関していえば、これはなんといっても愛音と立希の“欠点”を、視聴者に嫌われない程度に、でもしっかりと描いているから生まれたものといえる。  

第5話「逃げてない!」で描かれるのは、愛音の「逃げてしまう」という欠点。キャラクター紹介に「成績優秀でコミュ力と行動力」があると書かれている愛音だが、彼女は大変なことが待っていると逃げてしまうところがある。もしかすると、中学で生徒会長もやるぐらいには人気者だったから「そこそこなんでもできるタイプ」で、だからこそ失敗することに慣れていないのかもしれない。第5話では、彼女がイギリス留学に失敗した転入生であることが明らかになり、彼女はその失敗が中学時代の友達にバレた時、「終わった」と思う。ここで「終わった」と決定的に思ってしまう、自尊心のあり方こそ、若さゆえの産物といえる。  

そして、第5話で立希に「逃げてる」とずばり指摘されたいわれた愛音は、第6話「なんで今更」で逆に立希に対して「怒ってばっかりだ」と指摘をする。立希はひとりでなんでも背負いがちで、ゴリゴリ物事を進めるからこそ、他人に舌鋒鋭くなる。それはしばしば自分の思い通りに相手を振る舞わせようとする圧にもなりかねない。  

こんな2人の凸凹した感情が第6話では、映像の緩急としてうまく描かれている。前半は、ライブに向けて立希が一生懸命頑張る姿が描かれる。ただ彼女は、ひとりで抱えすぎてしまうので、自分ばかりが周囲の勝手に振り回されているという不満も溜め込むことになる。そして言葉がキツくなってきたところに、愛音から「怒ってばっかりだ」との指摘を受ける。第5話では立希が愛音に「逃げてばっかり」と正論をぶつけたが、第6話では逆に愛音が立希にストレートに意見を言う。  

舞台となるのが主にスタジオと立希の部屋で、動きも少ないカットを積み上げていく前半。後半は練習にこなかった立希を、愛音と燈が学校まで向かいに来る展開で、日の暮れた学校の中で、逃げる立希を愛音が追いかける。キャラクターが走り回る動きある展開が、前半と明確なコントラストにになっている。そこでは前半で溜め込んだ感情が、走るというアクションを通じて表出されている。  

続く第7話「今日のライブが終わっても」は、この第6話のようなメリハリをもっと強くつけて、映像の語り口でもって中盤の山場を作っている。  
ついに訪れた初ライブ。前半は控え室にいる愛音たち5人を追う内容。部屋の2カ所に設置された定点カメラを中心にしつつ、机の上の小型カメラを思わせるアングルも取り混ぜながら映像は進む。NHKの「100カメ」のようなノリを想像してもらうとわかりやすいだろう。こうしたドキュメンタリー風のカメラから、ライブ前の緊張した「時間」が浮かび上がってくる。この時間を感じさせる上では、意味のあるようなないような、おかしさも滲ませる様々な会話も大きな役割を果たしている。  

これが後半のライブシーンは、一転して、各人の頑張りを見せるバストショット、複数人を画面に収めてステージの空気感を伝えるダッチアングル、各演奏者の間を追いかけるカメラ移動などを駆使し、ライブの高揚感を伝える。1曲目の歌い出しがなかなか上手くいかず微妙な空気から始まった演奏が、途中で燈にスイッチが入ったことで、ぐっとグルーヴが生まれ、それが観客へと伝わっていく様子が、うまく表現されている。  

第6話も第7話も、脚本の絵解きにとどまらず、映像言語を巧みに駆使することで、登場人物たちの「感情の総体」を伝えることに成功していた。  
しかし第7話の初ライブの成功は、彼女たちにまた新たなピンチを招くことになる。それは第7話ラストそよが、それまで隠してきた思いを露わにすることから始まる。成功が最大のピンチを招くという展開の技術的な巧みさもさることながら、この禍福が反転する展開は本作が「みんなでひとつになる」ことを描くのではなく、「ひとつになろうとすればするほど、互いの違いが際立つ物語」であることを際立てる。  

作中で断片的に描かれてきたように、立希、燈、そよに豊川祥子と若葉睦を加えた5人は、かつてCRYCHICというバンドを組んでいたが、これが解散してしまった。燈はだから「解散しないバンド」というものに執着するし、立希は燈が再び傷つくようなことにはしたくないと思っている。そしてそよは「もう一度CRYCHICができないか」と考えている。  

愛音が無邪気に始めてしまった新しいバンドの向こう側に、CRYCHICという“亡霊”が浮かび上がってくるのが、1クール目後半からの展開で、ここからさらにこの“亡霊”との向き合い方が重要になっていくと思わせるのが、現在の展開だ。
本作は「重めのドラマをやりたい」とプロデュース・サイドからの依頼があってスタートした企画だという()。

ここ15年ぐらいの間、「重い展開を入れると視聴者が離れる」という話を取材などでよく聞く。もちろん例外も多々あるのだが、これが「考え方のベース。リスクの想定」として一般化していることは感じられる。ここにゲーム由来などの「キャラクターをあまり成長・変化させないほうがいい」要素が加わると、ドラマ性はどうしても薄くならざるを得ない。アニメがキャラクターグッズ化してしまうといってもいいだろう。そういう意味では今回の「重め」をという提案は、シリーズが順調に展開しているからこその挑戦ということはできるだろう。  

しかし第6話、第7話の出来栄え。そして第8話から第10話へと進む、燈を軸にした展開は「重め」だからこその劇的なおもしろさがあった。愛音と立希の間にいる燈が、自分の言葉で語る(歌う)様子は、「うったえる」が縮まって「歌」という言葉になったという俗説が、リアリティをもって響いてくる強さがあった。  

そういう意味で本作は「重さ」という以上に、きめ細かな感情のアンサンブルが生む「繊細さ」こそが先に感じられる作品となっている。タイトルにもなっているキーワード「迷子」が登場するのは第5話。これが彼女たちのバンド名になるのが第12話「It’s my go!!!!!」。この5人の迷い道を見ていると、青春時代というのは、阿久悠が『青春時代』(76年)の歌詞に、道に迷い胸に刺さることばかりと書いたころと、なんにも変わってないのだなとも思う。
この痛みには、時代を超えた普遍性があるのだ。

ネットの評判や噂って
実際のところどうなんだろう?

正直、ノウハウに興味あるから気になります。

わたしが気になっているのはコレ・・・

こんなに簡単に効果がでるんなら
すぐにでもやってみたい気がするんですよね。

評判や口コミどおりに効果あるなら
嬉しいけど・・・。

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Posted by pff32590